『I can・・・』に込めた想い 〜すっごく長い自己紹介〜



こんにちは

ボクは「はちやま」です。
普段は「はっち」と名乗っています。


1980年8月生まれの43歳。
小学生の頃からの同級生の妻と結婚し、
高校生の息子と小学6年の娘がいます。


塾の先生をしていますが、見ての通り金髪です。

初対面のひとには塾の先生に見られません(笑)

それでも
学習塾『I can はちやま塾』を開業して13年が経ちました。

おかげさまで
毎年100名の子どもたちが通ってくれています。


毎日、中学生や小学生に向けて授業をしています。

「わかった!うれしい!」

「私にも、僕にもできた〜!(´∀`)」

「今度は他の科目でも点数取りたいです(*^▽^*)」




こんなふうに子どもたちの喜びの声を聞いて、その笑顔を見れたらめちゃくちゃ力が湧いてくるんです^ ^


このほかにもいろんなことに挑戦しています。

・ラオスのメコン川をスピードボードで時速80kmで450km爆走!
・卒業旅行でカンボジアにいって、現地のトゥクトゥクドライバー(ワナさん)の家でホームステイ!

・2022年には世界一周を達成
・2023年は海外生活100日間に挑戦しています。


「塾の先生なのになんでこんな事をしているの?」


そう思われた方もいるかもしれませんね。
わかります☆わかります☆

って、実際
よく言われますもん(笑)


ボクがこんな冒険家みたいなことしているのは、子どもたちに「やりたいことを叶えるって最高に楽しい!」ってことを伝えたいから!


大人たちは子どもに「夢を持て!」といいます。


ですが、
その言っている大人たちの多くが夢を持っていません。
夢をもっていない、行動していない大人に「夢を持て!」って言われたってなんの説得力もありません。
子どもたちはとても敏感です。

だから、

ボク自身が「夢を持て!」を言葉ではなく、行動で示すため挑戦をして夢を叶えています!

やってみせ 言って聞かせて

 させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ

山本五十六


有名なことばですが、毎日子ども達と接していて、本当にその通りだと身に沁みて思います^ ^

「やりたいことを叶えるために、学びと行動!」



シンプルですが、
これがボクの考える「勉強する理由」です。

【ボクの理念 〜子どもにできる自信を持ってもらう〜】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 41421739.f8728d6c0a09ce986b6cca5f3ed83666.19072212.jpeg

ボクの目標は
「子どもたちが自分のやりたいことを見つけて、
その夢に向かって生き生きと挑戦し、それぞれの夢を叶えること」

子どもたちを見ていると、みんながんばっています。
でも、どこか辛そう…。


なんか元気なくない?

  • 勉強が楽しくない。
  • 勉強している意味がわからない。
  • がんばっているのに報われない。
  • 毎日が窮屈でつら


こんなのはおかしい!

学校の先生もカリキュラムに追われてバタバタしている感じ。


その結果、マジメな子ども達ほど

『勉強が面白くない・・・
 勉強なんて役に立つの?
 私は勉強ができない…。』
と自信を失っていく。


こんな悲しいことを言わないでほしい!


子どもが窮屈そうに我慢している。


ボクはこの状況をなんとか変えたい!

ボクの仕事は塾の先生です。
おそらく、塾に求められている役割は


「勉強で点数を取らせること」


確かにそのとおりです。


ボクの仕事は子どもたちに授業をして、点数を上げることです。

でも、
それだけじゃなくて、点数をとらせてあげることで

「わたしにもできた ♪」

「ボクにもできた ^ ^」

と子どもの自信を取り戻してほしい。


「成長するよろこび」と「学ぶことの楽しさ」を実感してほしい。
そして、子どもたちが自分のやりたいことを見つけてほしい。

その夢に向かって生き生きと挑戦してほしい。

その夢を全力で実現してほしい。


だから、

  • 勉強の仕方を教え、点数をとってもらうこと
  • 子どもたちに『できる』を伝えること
  • 誰よりもボクが先頭で挑戦すること

に本気で取り組んでいます。

こんな感じで

今は
毎日子ども達の笑顔に触れて
自分のやりたい事にも挑戦して
しあわせハッピー野郎のボク。


でも、
子どもの頃はごく普通の子どもでした。

誇れるものや得意なこともない。

やりたいことも将来の夢も特にない。

生活に不満もない。

勉強は「中の上」ぐらい。

自分と向き合う事なく、なんとなくぼんやり生きていた。

そんな子ども時代でした。

あのころは
とりあえず勉強をして、
大学に行って就職すれば『幸せになれる』と思っていました。

あの頃はそんな時代だったのかもしれません。

しかし、現実はそんなにうまくはいかなかったんです。

次の項目からは、そんな平凡な少年時代を過ごしたボクが、社会に出て人生のどん底を経験しながらも、自分の人生を切り拓いていった物語です。


こんなに平凡なボクでも、
今では

天職と思える大好きな仕事を見つけて、

好きな人たちに囲まれて、

理想の人生を叶えて

毎日ワクワクしながらしあわせに暮らしています☆

どんな経緯を経て、『I can … はちやま塾』ができたのか?

いつからボクが金髪になっているのか(笑)

ボクの自己紹介も含めて、ぜひ読んでくださいね♪

『I can・・・』に込められた想い 

はじまり〜はじまり〜!

【23歳、後悔のなかでもがく工場作業員】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSCF0006_Original.jpg

ぶっちゃけ
社会をナメていました・・・。

「やりたいこと・・・ゲーム?」

「将来・・・わからん」

「とりあえず勉強してればいいでしょ」

「大学行ってそこそこの会社に就職すればいい」

「勉強してれば普通にしあわせになれるんでしょ?」

高校生、大学生のときはこんなふうに考えていました。
本当に何も考えてないナメたアンポンタンでした。

しかも時代は就職氷河期の真っ最中!

「内定取れればどこでもいいや」って平凡な22歳だったボクは、求人があった地元の工場に就職しました。

実はボクは塾の先生をする前は、ある会社で働いていたんです。

地元から少し離れた会社。

かっこいい言い方をすれば「技術者」ですが、実際の仕事は「工場の作業員」でした。

鉄と油にまみれた肉体労働の日々。

それでも
普通の生活できるならそれでいいとがんばっていました。





最初のうちは・・・ね٩( ‘ω’ )و





そして
就職してから1年が経ったとき、大学時代から付き合っていた妻と結婚。

これがボクの物語が始まるきっかけ。

妻との仲はめちゃくちゃ良好☆

小学生の頃からの同級生である妻とはお互い遠慮しない適度な距離感。

小さなアパートでしたが、
新居での2人だけの初々しく甘い新婚生活生活

しあわせでした!

就職

そして結婚。

2つの人生の大イベントが終わって、ふと気がついたとき。

「このままボクの人生が終わっていくのかな」

と自分の人生に小さな疑問を持つようになりました。

その疑問はだんだん大きくなり・・・

「あと40年間、この作業の繰り返しか・・・」

「今まで勉強してきて、大学まで出たのに誰でもできる作業」

「今はしあわせだけど、これでいいのか?」

「ボクは何を残せるのだろう?」

「ボクがこの世に生まれてきた意味はなんだろう?」

やがてその疑問は膨らみ始めました。

小学、中学、高校、そして大学。

あれだけ自由な時間とチャンスがあったはずなのに、本気で「自分のこと」を考えてこなかった。

たしかに努力はしてきた。

勉強だって人より少しはできた。

部活だって下手だったけど3年間やり遂げた。

人よりも努力してきた。

苦しい日も根性で乗り切った。

でも、
何も本気で取り組んでこなかった。

将来のことを自分で決めてこなかった。

「とりあえず勉強をしておけばなんとかなるだろう」

となんとなく考えてきた。

ボクが甘かった・・・。

その結果がコレか・・・。



「こんなはずじゃなかった・・・。」



今まで自分の人生に真剣に向き合ってこなかったことを強く後悔するようになりました。

でも、

「まだ遅くない!本気でやる!」



ボクは自分を変える決意をしました。

「この人生を変えたい!」

その一心であらゆる本を読み漁り、学び始めました。

【さらにどん底へ。愛のひとことで動き出す。】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: P1000772_Original.jpg

本気の決意をして2年。
ボク25歳。

とにかく迷走していました。

自分が何をしていいかわからなかった日々。

「とにかく今は勉強して知識を増やそう!」


そんな中、母が突然倒れます。

さいわい命に別状はありませんでしたが、念のためボクは妻と実家に戻ることに。

このときに
通勤時間が片道1時間30分、
往復で3時間以上、
その時間もボクは電車の中でひたすら本を読んでいました。





しかも
トラブルはまだ続きます。





ボクが26歳のとき
次は妻が心臓発作で倒れました。

さいわい、
このときも一命を取り留めましたが、これからいつ発作が起きてもおかしくはない状態になりました。

妻は仕事を続けられない。

これからはボクがひとりで
生活を支えなければいけなくなりました・・・。





時は流れ
27歳のボクの限界を迎えていました。



毎朝5:30に起きて太陽が昇る前に出勤。

運良く定時で終わっても帰って来れるのは早くて夜8:00。



毎日3時間の通勤時間。

その繰り返しの日々。



本気の決意からすでに4年。

よくなるどころか
状況は悪くなる一方・・・

「も、もう限界だ・・・」

人生を変えたいのに何もできない。

何をしていいかわからない。

ボクはどこを目指してがんばればいい?

とにかく本を読んで学ぶしかできない。

そんな中で妻に新しい命が宿りました。



待望の第一子。

とてもうれしかった!

でも、
その嬉しさのなかには不安もありました。

出産するときの妻の心臓が心配。

再就職もできない。パートにもいけない。

ボクが家族を支えないといけない。

工場勤めの安月給。
残業なしで手取り15万円ほどの給料。

これで養っていけるの?

「人生を変えたい!このまま終わりたくない!!」

だけど

「ボクが家族を支えなければいけない・・・将来が不安」



希望と不安の狭間でボクの心は壊れ始めました。

本が読めなくなりました。

通勤電車の中では気を失うように意識がなくなりました。

大好きだったゲームをしても面白くない。

TVで漫才を見ても笑えない。

誰とも話したくない。

お風呂に入っても、頭も体も洗わずに出てきてしまう。

・・・

だんだんと状態がひどくなっていきました。





ある日、
真っ暗な寝室でうずくまるボク。

何も考えられない。

「なんとかしなきゃ」

「なにもできない」

「どうすればいい」

「なんでこうなった?」

頭の中は後悔と無力さのくりかえし。



そんなボクを見て
妻が泣きながら

『そんなにツラかったら仕事やめてもいいよ。

 アンタならどこに行っても大丈夫だよ。

 きっとできるよ。

 わたしはついていくよ』

そう言ってくれました。

そのひとことで
自分ではもうどうすることもできなかったボクの内で「何か」が壊れました。

今までガチガチに固まっていた「何か」

ボクはその場でうずくまり声をあげて泣き出しました。

叫びながら泣くボクを妻は優しく抱きしめて一緒に泣いてくれました。

「けいすけばっかり
 負担をかけてごめんね」

「大丈夫だよ、大丈夫だよ・・・」

妻の腕の中で泣いているとき、もがき苦しんでいた5年間が次々と頭を浮かんできました。

社会人として一歩踏み出したあの日。

この人を幸せにしたいとプロポーズしたとき。

新婚時代に住んでいたアパートの風景。

激しく後悔したあの日。

「人生を変えたい」とヘトヘトでも電車で本を読み漁っていた日々。

それでも

何も変えられない悔しさと無力さ…。





それらの想いが一度に溢れ出て、何がなんだからわからない。

いつも一番近くで支え続けくれた妻のひとことにボクは泣くことしかできませんでした。

でも、
妻のひとことはボクの縛り付けていた心をすべて開放してくれました。

愛する人からのたったひとこと。

「あなたならできるよ」

自分の可能性を信じてくれている。

このことばでボクの心は救われたのです。



妻も不安だったはずです。

お腹には赤ちゃん。

目の前には心を病んでボロボロになった男。

それでも自分と子どもの人生をボクに預け、信じてくれました。





その想いが、4年間も何もできなかったボクの本当の1歩を踏み出させてくれました。

次の日に会社に行き、上司に会社を辞めることを伝えました。

【生まれた息子と生まれ変わった男】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: P1000715_Original-1.jpg

27歳の3月。

ボクが会社をやめる予定の月。

ボクらに男の子が生まれました。

妻の心臓のこともありましたが二人とも無事に生まれてくれました。



やったー!

※注意!このは来月から無職です(笑)

人生に迷えるパパ。



「パパはいつでもそばにいるよー( ^ω^ )」



おい、いつでもそばにいるな!

仕事しろよ!

シャレになりませんね(笑)



でも、
あのときの妻のひとことで吹っ切れていたボクは不思議と大きな不安はありません。

「せっかくだからやりたいことをやろう」

と前向きに考えて仕事を探しました。

そのときに見つけたのは、フランチャイズ学習塾の求人。

勉強だけではなく、
子どもたちを自立させるためのカリキュラムもあるらしい。

「これだ!」

ボクは直感的に思いました。



「自分の人生を真剣に考えてこなかったボクの後悔を子どもたちにしてほしくない!!!

ボクの後悔をこれからの子たちに伝えよう!」

「リアルしくじり先生」ですね☆



その思いだけで、まったく未経験の塾業界に飛び込みました。

塾の経験はありませんでしたが、教室管理がメインの仕事だから

「未経験でも大丈夫だろう」

と思っていたのですが・・・。



やっぱり実際に現場に入ると教室管理だけではなく、「先生」としての仕事もありました。

初授業の前、
ボクはがむしゃらに授業準備をしました。

教材を読み込み、伝えるべきポイントをまとめ、家で一人でエア授業をして練習しました。

正直に告白すると、授業のときのことは覚えていません。

焦りまくって無我夢中でしたから。

ただ、生徒に「できた!」と喜んでもらったことだけは覚えています。

うれしかったんです。

子どもたちの「できた!」といって目がパァっと開く瞬間が本当にうれしくて・・・。

「塾の先生」の仕事にどハマりしました。

その子のために覚えることをまとめたり、質問がきたら自分の時間を割いてでも答えました。

「先生に習った問題、テストに出て解けたよー!」

「先生のおかげでうちの子が勉強にやる気を出してくれました。ありがとうございます!」

そんなこと言われたら

めちゃくちゃうれしいですよね!!!



今まで黙ってひたすら鉄を削っていた男に向けられたダイレクトな感謝のことば。

心にバシバシ刺さりました!

ときには生徒の悩み相談を受けたり、ときには家に帰っていない生徒を夜通しで探し回ったりもしました。

バタバタしながらの仕事でしたが、
「人と人の関わり」
がめちゃくちゃ楽しかったんです☆



心を病んでいたころと違って、毎日楽しく過ごしていました。

だけど、
まだ大問題がありました。

それは
「お金」がないことです。

I have no money!
(T . T)



それまで教室長不在の荒れ果てた教室。

ボクが教室長になりたてのころはホワイトボードに落書きがしてあり、自習室で勉強している子の横で、教室の床に座りカップラーメンを食べている子もいます。

冗談のようですがマジです!

どこのビーバップだよって感じですよ(笑)

それを立て直していくことがボクの任務でした。

ボクが教室長になってから、生徒数はじわじわ増えてきましたが、ぶっちゃけ赤字経営。

責任は教室長のボクにあるので、社長に

「給料を上げてちょ☆」

とはいえない。

少しずつ貯金が減っていく。

だけど
妻は心臓が心配だから働きに出てほしくない。

このままだと順調にいっても3年以内で貯金がすっからかんに。



「どう考えてもヤバい」



このままいけば確実にジ・エンド。

別のところでバイトをしようと思いましたが、そんなことをしても長続きはしません。

悩んで、悩んで、悩んだ結果。

29歳の桜の花が散り始めたころ、
ボクは独立することを決意しました!



2度目の転職です。

しかも次は

独立!

自営業!

ある意味しかたがないとはいえ、
この身勝手を許してくれる妻の懐のデカさはまさに菩薩級!

ボクはようやく自分の人生を踏み出しました!

【行動と学びで道は開ける!「理想の塾」ができるまで】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: IMG_7305-1024x768.jpg

独立の準備期間はおよそ1年間。

まずは
「決意のパソコン」
を購入しました。

このたった一つのパソコンがボクの相棒です。



『1年でこのパソコンの中にボクの理想の塾を作っていく!』

そこからは毎日、寝ても覚めても理想の塾のことを考えていました。

塾のシステムや指導形態、使う教材、授業料金なども決めました。

でも、ボクにとって大切なことはそんなことではありません。

ボクが本当に考えなければいけないことは・・・。

来てくれた子どもたちにどうなって欲しいだろう?

子どもたちに何を伝えられるだろう?

どんな授業をすれば喜んでもらえるだろう?



思いついたことをノートに書き殴り、何度も見直して書き直して

見直して書き直し、
書き直し、
書き直し・・・。

想いを思いっきりつめこんだ塾をパソコンの中に創っていきました。



もちろん不安もありました。

本当に生徒が集まるだろうか?

これからの人生は誰も保証してくれません。

生きるも死ぬも自分の努力次第!



でも、
ボクはとにかくワクワクしていました。

やりたいことを思い切りできる。

あんなことをしたい、こんな風に教えたい。

理想の塾を創る。

今まで生きてきて、こんなにおもしろいことはありませんでした。

ゲームより、マンガより、
なによりおもしろい!

当時の僕には、お金も地位も実績も何もありませんでした。
(今も大してないんですけどね笑)


愛する家族と、夢に挑戦して前に進んでいる充実感がありました。

「あれ?
 これが幸せなのか…?

絶対に塾を成功させて、来てくれた子どもたちに勉強の楽しさを教えるぞっ!」

そう想いを込めて、せっせと準備しているとブログにコメントがつきました。

「今度、若い塾長で集まりますが、はっち先生も来ませんか?」

声をかけてくれたのは、すでに自分で経営されていて生徒もたくさん集めている先輩塾長さん。

こ、これは大チャンス☆

すでに経営している人から直接アドバイスをいただける!
しかも石川県で有名な塾の先生!

ぐへへへ、
これは行くっきゃないでしょ!

そこにはボク以外に5人の方が集まっていました。

それぞれがすでに勢いMAXのベテラン塾経営者たち。

そこでボクは独立するための
相談をさせてもらいました。

みなさん、本当に親身になって考えてくれ、たくさんのアドバイスをいただきました。

忘れもしないのは
「恐怖の真っ赤なチラシ」

開塾するときにはチラシを入れます。

地域の人に知ってもらわないと生徒が集まりませんからね。

特に新規開塾チラシはめちゃくちゃ重要!

初めてのチラシは今までボクが学びまくってきた知識をフルに使って書き上げました。

ダテに工場作業員時代に
4年間も電車の中で本を読んできたわけじゃありません。

マーケティング本もバッチリ勉強済み☆





・・・だったはずがチラシは真っ赤っか!

それぞれの塾長さんがボクのチラシを赤ペンで添削してきてくれたんですよね。

さすが塾の先生たちですよね(笑)

「よくもまあこんな細かいところに文字を書けるな」ってくらいに真っ赤。

でも、本当にありがたかった!



他にもいろいろな人に助けてもらいました。

このとき全財産は70万円ほど。

とにかくお金がありません。

独立開業するのにお金がこれっぽっちしかない!

『お金がないなら知恵を出せ!
 知恵がないなら汗を出せ!

がボクのモットー。

お金がないから行動するしかありません。

いろんな人に頼みこんで力を貸してもらいました。

父の友人の社長さんからは倉庫になっていた事務所を格安で借りることができました。

叔母の紹介してくれたリサイクルショップの社長さんには中古のイスやホワイトボードを激安で売ってもらいました。

恥も外聞もなく、とにかく行動するしかない!

【夢が叶う瞬間、「I can … はちやま塾」誕生の産声】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: P1010377_Original-1024x768.jpg

そして、2月の寒い夜。

元倉庫だった事務所。

雇われ教室長としての仕事を終えたボクは夜中に小さなストーブの前で自分の塾の準備をします。

ボロボロで床にタイヤの跡がついている汚い教室。

ふぞろいの中古の机とイス。

少しサビの浮いたホワイトボード。

ボクはそれらを一生懸命に磨きました。

寒い中、小さなストーブで手を温めながら冷たい水でゴシゴシと。



でも、まったくツラくありませんでした。

とにかくうれしかった

ボロボロでも汚くても手に入れたボクの城。

気がつくと朝日が昇っていたということもよくありました。

寝る間を惜しんで夢中で作業していました。

新しいおもちゃを買ってもらった子どものようにワクワクが止められません。

ダブルワーク状態になっていたけど、そんなことは関係ない!

夢を叶えるための行動を思い切りできる。



『ボクはいま生きている!』



まさに自分の人生を自分で創っているこの感覚。

そのことがうれしくて、うれしくて、体からパワーがどんどん湧いてきました。

工場で働いていたボクが本気で人生を変えようと思ってから7年。

人生を変えたくても、何をしていいかもわからない。

できることといえば本を読み漁るだけ。

今のボクはあのころと違う!

とにかくボクの行動がすべて夢につながっているんです!

すべてを自分で決めて自分で行動する。



まさに
夢が叶う瞬間です!




人生を変えようともがいた挙句、心を病んでしまった男。

あのとき、愛する人からのひとこと。

「あたならできるよ」

今度はボクが子どもたちに伝える番です。

「勉強なんかで自信を失って欲しくない!」



「点数を上げて

『わたしにもできた』

『ボクにもできた』

 を感じて欲しい!!」



「キミならできるよ」

その想いを込めて
『I can … はちやま塾』のスタートです。

【「行動と学び」で本当に身につけて欲しいもの】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: IMG_3527-1024x683.jpg

開塾して生徒が集まるか不安だったのですが、あの「恐怖の真っ赤なチラシ」の効果もありスタートから10名の生徒が来てくれました。

そして
生徒は少しずつ増え始めて、夏前に生徒数が30名ほどになりました。

このとき、

「と、とりあえずなんとか食っていける」

と安心したのを覚えています。

それほど、
最初の一歩は怖かったんです!

それから生徒数は毎年、口コミで生徒は増え続けました。



そして
今では毎年100名以上の生徒が通ってくれています。



何もできずにもがいていた工場時代。

貯金が減りつづけ、不安の中で働いたフランチャイズ学習塾の教室長時代を経て、ボクは夢を叶えました。

しあわせを噛み締めていました。

なにより

「ボクは自分の力で人生を変えたぞーーー!」

と大きな自信になりました。

おそらく、今のボクが無一文になってもそこまで心配はしないでしょう。

なぜなら今のボクには自分で行動して学んだ「知識」と「経験」があるからです。

無一文になっても、また1から始めればいいだけ。

もちろん、
ボクひとりの力だけではなく、妻をはじめとする家族、先輩塾長たちなどたくさんの助けがありました。

感謝しかありません。



それでもあの工場で働いていたときのボクとは違います。

ボクは「自分で行動し、学ぶこと」で生きる力を手に入れました。

これは人生を変えて、夢を叶えることができる力です。

だから、
子どもたちに勉強を通じて「人生を変えて夢を叶える学び」を伝えたいんです。

【そして出会いで加速する】

近畿大学附属高校で授業を行うみかみ先生(注:ボクではありません)

2019年のあるとき、またボクの転機が訪れます。

あこがれの「みかみ一桜先生」から誘われました。

みかみ先生は独立わずか1年で200人以上の生徒を集め、生徒数は600名!
しかも塾講師未経験から塾を始めたにも関わらず!

さらに執筆した参考書が『ヒキョーな化学』が1位!

その他、参考書出版多数!

ブログアクセス数も15000PVで塾業界のダントツ1位!

まさに伝説の男!

この実績もすごいですが、
ボクがさらに衝撃を受けたのは見た目も行動もとにかく自由でハンパない

塾の先生でありながら100回以上海外旅行に行っています。

初めて会った日も金髪でどこかの国の民族衣装を着ていました。

まさに
ボクの常識をぶち壊してくれた別次元の存在です。

そんな雲の上の存在のみかみ先生、お会いしたのも過去に1回きり。

そんなみかみ先生からイキナリ

「1ヶ月後に一緒にタイに行きませんか?」


ぬわぁーー
にぃーー!!!

海外旅行なんてほとんど行ったことがないボクちゃん。

しかも1ヶ月後!

新婚旅行のためにつくったパスポートの期限はとっくに切れています。

正直、
ちょっとだけ迷いました。

仕事が忙しい。

毎日授業がある

海外に行くと授業を休んで調整しなければいけない・・・。

みんなに迷惑をかけるかもしれない・・・

でも、あの「天下のみかみ先生」が声をかけてくれたんだぜ

いつかは海外に行きたいって考えていたじゃないか

ここまでお膳立てが揃って誘いに乗らなかったら、海外に行くことはできない・・・

こんなチャンスは2度となくね?

このビッグウェーブ乗るっきゃないでしょ!

「行きます!!!」

その間、わずか4分(笑)


ボクは次の日にパスポートを取りに行きました!

結論!

ボクとみかみ先生とのメコン川の死闘

行ってよかった!

そこでボクの視野は大きく広がりました。

自分の知らない世界がたくさんあったのです。

一番の収穫は「生きた学び」です。

現地の人とタイ語であいさつをする。

現地のレストランでは英語でオーダーをする。

いつも英語を教えているボクもうまくしゃべれません。

それでもつたない英語でなんとか会話します。

店員さんが「Thank you!」と言って、ボクの英語が通じたときはやっぱりうれしかった☆

大人でもうれしいのですから、子どももうれしいはず。

机の前に座って習う英語ではなく、下手くそでも使ってみる英語。

レストランで店員に向かっていうお決まり英語。

メニューを指差し「This one, please!」

それだけでも、その子の中では大きな経験になり「もっと英語を勉強しよう」と思う動機になります。

直感で感じました

「子どもたちにもっと経験をさせてあげたい」

「日本以外の場所を体験して、視野を広げて欲しい」

そのときから、タイ、ラオス、ミャンマー、マレーシアに行き、卒業旅行では生徒達を連れてカンボジアにも行きました。

生徒たちとカンボジア卒業旅行

そのときの子どもたちが本当に楽しそうで「学びと経験を結びつける大切さ」

をあらためて実感しました。

これからもどんどん生徒を連れて海外に行こう!

しかし、2020年のコロナの年。

ボクの海外への計画はあえなく白紙になりました。

【大ピンチの中に新たな可能性 オンライン授業】

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: IMG_7060.jpg

2020年3月
全国の小中学校、一斉休校!

子どもたちが学校にいけない。

再開の目処も立っていない。

パンデミック、なんてこった!

しかし、ピンチのときこそ知恵工夫、そして行動

逆境こそボクのスーパー頭脳とパワフル行動力が発揮される☆

普段から子どもたちに教えてきたこと実践するときです。

ボクにできることは・・・。

よしっ!
すべての授業をオンライン授業に切り替えよう!

iPadとMacとネットの繋ぎ方、
専用プリントを作成、最適な授業時間、授業構成、
生徒とのやりとり、授業を受ける時のルール、マイクの配置、
授業の時の目線、話し方、文字の書き方など。

すべてが0からの試行錯誤です。

しかも、
ほとんどの人は未知のオンライン授業に対する不安を持っています。

「オンラインで授業って本当に大丈夫?」

「成績上がるの?」

そんな不安を吹きとばすためにオンライン授業の準備に明けくれました。


ボクの塾の生徒には絶対に損はさせない!

その年、
ボクがオンライン授業した時間は600時間以上。

授業以外でオンラインで生徒に答えた質問は300問を超えます。

授業以外の自習や演習でZOOMを使っている時間も含めるともはや測定不能です。

どんなに少なく見積もっても1500時間は超えています。

そのおかげで最初はぎこちなかった授業も、今では実際の授業と比べてもなんの遜色もなくできています。

オンライン授業がはじめての人にもカスタマーサポートセンター並みに案内できます(笑)

このとき圧倒的に夢中に行動したおかげで

「もしかして日本で一番オンライン授業が上手いんじゃない」

って自惚れるくらいの自信がつきました☆

実はこのとき、
他の塾の先生の間ではオンライン授業に否定的な意見が多かったんです。

「オンライン授業はあくまでコロナの緊急措置」

「やっぱり生徒を直接見ないと授業じゃない!」

「オンライン授業は対面授業の下位互換」

ボクはまったく逆でした

オンライン授業に大きな可能性を見えました!

その証拠に成績面でも成果が出てました。

オンラインで入塾、授業でも直接会ったことがない生徒の偏差値も8以上あがりました。

このほかにも偏差値10以上もあがっている生徒もいます。

この年の塾生全体を見ても偏差値の平均上昇値は例年より高かったのです。

しかも

「はっち先生の授業をぜひ受けたい!」

県外からもお問い合わせいただきました!

そんなことを言ってもらうなんて先生冥利に尽きますよね☆

オンライン授業を活用すれば、子どもたちの勉強の仕方を変えることができる。

そう感じています。

オンライン授業のメリットはザックリこんな感じです。

オンライン授業のメリット
  • 通塾にかかる時間がなくなる。
  • 保護者さんの送迎の手間もなくなる。
  • 全国どこにいても授業が受けられる
  • 体調が悪いときにも授業に参加できる。

ここまでがふつうに考えて出てくるメリット。

そして、
表面上の取り組みじゃ見えてこないメリットもありました!

さらにメリット
  • 授業外でも高校情報などを配信できる。
  • 生徒からの質問を24時間受け付けることができる。
  • 塾にくる必要がないから学習習慣をつけやすい。
  • 生徒や保護者さんとの連絡がしやすい。
  • 毎日オンラインで顔を合わせているので距離が近くなる。

もちろん、デメリットもあります。

オンライン授業のデメリット
  • 機械の操作が煩雑になる。
  • 不正行為が防げない。
  • 友達と塾でのコミュニケーションがない。
  • 通信状況によって授業が受けられないときがある。

デメリットは確かにありますが、それ以上にメリットも多いのです。

デメリットはできるだけ小さくして、メリットを生かす工夫をする。

1年中オンライン授業をしまくっているボクだからこそ気がついたことがあります。

オンライン授業をする上で最も大切なのは
授業ではなく授業以外のサポート体制です

これができていれば
正直、授業はオンラインもリアルも変わりません。

あと、
生徒として大切な心構えは

■ 「正しい勉強の方法」が身についていること

■ 「勉強がんばりたい!」という気持ちを持っていること。

■ 「本気で勉強に向き合う覚悟」をもっていること。

この3つがあれば大丈夫です!

オンラインでも十分成績が上がります!


「正しい勉強の方法」を身につけてしまえば、1から10まで教わる必要はありません。

むしろ、
手取り足取り教えてもらわなくても
わからない問題を教えてもらったり、
モチベーションを維持して勉強する環境
があれば勉強がはかどります。

本気で勉強する覚悟を持った子はこういった子たちです。

そういった子たちにボクの全力を注いであげたい!

そもそもボクは先生の見てないところでサボったり、不正行為をするような子に授業をしたくないんです(ごめん!)

ボクはベビーシッターじゃないんだぜ!ベイビー☆

【夢を実現させるために勉強する時代】

『世界一周JKひなまな』を応援するためにマレーシアまで生徒と行ってきました!

これから時代はもっと変わっていきます。

今までの勉強がすべてダメということではありませんが、今まで通りでいいというわけではないでしょう。

いつの時代も学びは大切です。

いつでも、どこでも勉強できる状態になればもっと自由になれます。

極端な話ですが外国で授業を受けることだってできます。

だからボクは勉強を通じて、もっと自由な学びを伝えたい!

そして、
自分のやりたいことを見つけて叶えて欲しい!

断言します!

勉強だけしていてもしあわせになることはできません。

そして努力をし続けた結果、苦しい生活を強いられるなんて悲しすぎます。

勉強に対する考え方、そして勉強の仕方を変えればボクたちはもっと自由になれる!

だから、
ボクは勉強を通じて、子どもたちに

「わたしにもできた!」

「ボクもできたっ!」

を感じて欲しい。

そして、
学校の勉強なんかで自信を失わずに、どんどんチャレンジしてほしいのです!

そうやって見つけた夢を実現するために多くのことを学び、行動してほしい。

ボクが『I can・・・はちやま塾』を創った12年前のあの日のように、子どもたちにも「自分の人生を生きている」という実感を感じて欲しい。

朝から晩まで熱中して、ワクワクしながら学び、行動する。

だれにも命令されずに、やりたいことに没頭する。

自分のアイディアを練りまくって、計画を立てて挑戦する。

そして自分の夢を叶える。

この成功をぜひ味わって欲しいのです。

「塾の先生なのになんでそんなことしているの?」

ってよく言われます。

挑戦しない大人のことばに説得力はありません。

ボクは子どもたちに伝えたい想いがあるから、挑戦し続けるんです。

やってみせ 言って聞かせて

 させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ

山本五十六

「やりたいことを叶えるために、学びと行動!」

【最後に】

こんなに長い文章を読んでもらってありがとうございます☆

カッコ悪いところをたくさんお見せしました。

そして、この記事を書いている間に何度も涙を流しました。

苦しかったとき、ツラかったとき、いつもそばで妻がボクを支えてくれました。

ボクの人生を変えた『あの日』を思い出し、あらためて感謝しかありません。

こうやって自分の半生を振り返ってボクは確信しています。

何も持たなかった平凡だったボクがこうやって毎日子どもたちに授業し、ワクワクしながら、新しいことに挑戦し続けている。

こんなしあわせな日々を送っているのは、もがきながらも学び行動をし続けてきたからです☆

だからこそ、子どもたちに伝えていきたい。

大丈夫です!きっとできます!

その想いを込めて・・・。

『I can・・・』